タクシードライバーだった頃の日記

1日目 森久保祥太郎

18時あたりから客が見当たらなくなり、bay fmの森久保祥太郎の番組を聴いて新宿あたりをうろうろしていた。

森久保祥太郎は「地雷系」についてかなり言葉を選びながら「V系のファンっぽい人かなあ」と説明しており、さすがゾナーをやっていた人はよくわかっているな、と思う。


2日目 三宅健ありがとう

21時頃に新宿なら人もいるだろうと思い3時間ほどうろついたが以前よりも活気がなく、人間よりタクシーの方が多いんじゃないかという感じ。人が少ない東京を見ていると心がどんどん萎んでいく。人類がパーティーをやってくれないと元気が出ない。


3日目 無題

マット洗浄機「マットマン」に車をぶつける。始末書を書く。社会人の階段を一つ登る。品川不毛地帯


4日目 無題

豊洲からUVERworldの「シャカビーチ」をかなり上手に合唱するバーベキュー帰りの若い酔っ払い男女4人現る。らからからーのハモリが洗練されており、何よりもらからからーのハモり担当が存在する文化圏がこの世にはあるんだ、と感動した。優しくて陽気な酔っぱらいが乗ってくるとまじで嬉しい。客が全員歌うくらいがちょうどいい。


5日目

またしても事故る


6日目

やなやつやなやつ!


7日目

渋谷で乗ってきた読モカップルが物凄くいちゃいちゃしはじめたけどわたしが今ボタンをひとつ押すだけでこの場にマツケンサンバが流れ出すんだ……という絶体絶命の状況に危うく高笑いしだすところだった。


 飽きたので8日目以降の記録はない。1年足らずで辞め現在に至る。タクシードライバーをやっていて一番嬉しかったのは、第一京浜で信号待ちをしている時に聴いていた養雞 & GG Lobsterの「Hell The World」終盤の歓喜の歌の部分(曲を共有したいけどSpotify派じゃないからやりにくいんだよなあ、気になった人がいたら調べてください。ちなみにApple MusicではなぜかI Miss My Brainって曲と間違って登録されてます)で隣の原付のお爺さんが正拳突きを始めたこと。あと楽しかったことといえば、dangerous familyあたりの曲をかけている時にす○ざんまいの社長が乗ってきて、ボタン一つですしざんまいの社長に殺意をぶつけられるという状況になったことくらい。


ついで

2020/8/2 友達の引っ越しの手伝い

防災用の赤い小型ラジオからは文化放送が流れている。早々に熱中症気味になったわたしはあらゆる物が取り払われたフローリングにべたーっと寝転んで、開け放たれた窓辺に積まれた段ボールがどんどん減っていくのをじっと見ていた。ドアというドア、窓という窓が開きっぱなしになっているので四方からやってくる夏の空気が部屋に充満する。時折カーテンが揺れるものの、こちらまで風が届くことはない。セミの声からわざとらしいほどの夏っぽさを感じる。夏特有の気怠さや期待が停滞していた。視線上に転がる頭だけの怪獣、その血走ったまなこに見つめられている。庭に面した窓から忙しなく出入りする友人の背中は汗でびっしょりだった。夏色のナンシーに続いて、当時の彼女と車で聴いていたという渚のオールスターズの曲がリクエストされた。脳天気な夏ソングを流されると、蔓延する疫病のことなどきれいさっぱり忘れ例年通り海の方などへ旅をしたいと思う。


ジャニス/不安な日について

※以下の文章の時系列は順不同である。


 ジャニスの人に嫌われたらどうしよう。一緒にいてくれる友人をそっちのけにして、そのことだけが人生で重大な問題であるかのように脳内を占拠する。ジャニスでやったことといえば、30分ほど棚を眺め、まあまあ安価なアンビエントのCDを一枚だけ購入したくらいである。その間の言動で店主に嫌われることを想像するのは馬鹿げたことだし、(いやでも、悩んでそんな安いの一枚だけ?というのもあるので)仮に事実だとしてもどうしようもないことなのは自分が1番理解しているのだが、そうとは知っていても度を越した不安が自分の知覚をロックする。ジャニスの人に嫌われたかも、という音が反響して耳を蓋い、それ以外の思考は風の中で灯した蝋燭の火のごとくかき消える。太陽から逃げるように神保町のサイゼリヤへ入る。嗅覚は現実の刺激よりも自らに循環する予感や前兆とその腐臭を優先し始める。視界に入る全てが私と目を合わせ威圧してくるので、何にも焦点を合わせないようにする。その切れ目、昭和歌謡スナックにウルトラマンの広告を大量に持ってきた人の話を友人から聞く。う、うわあ!ごめんなさい!わたしも過去似たようなことをやっていた。汚水が地表へと湧き上がるように苦痛の記憶だけが脳裏に蘇ると、あっという間に眼前まで押し寄せ、その渦の中に私を引きずり込む。さっきのことから昔のことまでまるで最中かのように感じ、入れ替わり立ち替わりに不安と恐怖がやってくる。全ての感覚がバラバラになり、その一つ一つが丁寧に恐ろしいものの前に晒される。意識の関節が抜き取られたように機能せず、力が抜け、座っているのもやっとであった。喉の根本が狭まり、吸っても吐いても蚊が飛ぶような音が出る。この呼吸音は典型的な症状らしく「こうなる人」は皆こうやって息をするらしいのが不思議である。(最近iPhoneは蚊とかゴキブリとかへの不満を漏らすたびあまりに精巧な絵文字をサジェストしてきて辟易する。現状これを阻止するには、極力その文字を打たないで接触の回数を減らすか、予測変換自体をオフにするかしかないらしい。いずれ予測変換にNGワード機能が備わったとしても、一度はその絵文字を選択しなければならない。真に苦痛を取り除くためには、いつまでも周縁をうろうろするとか見ないふりをするとかではなく、今すぐその元凶を破壊するのが手っ取り早い。そういえば私はこの日、永らく先延ばしにしていた別件について、友人に処理を頼んだことを思い出した。そのように肩代わりしてもらえるものを除き、先延ばしにしていることの多くはいずれ自分で蓋を開けて直視しなければならないが、そのための勇気が簡単に湧くのであれば多くの人は短命である。)


 そうしている間に恐ろしいものたちは加速し、全て同じところへ行き着く。現実の自分がその終着点に辿り着くのはその瞬間の先のことなので加速と書いたが、現在が引き伸ばされるという意味で、体感では減速とかBPM1くらいの状態に近いかもしれない。反対にーー同時にというべきかーーBPM∞というのはどのようなものか考える。全てが一瞬で来るとしたら、この状態はやはり加速とも言える。とにかくいつか来るものを恐れ、同時にそれまでに起こるあらゆる苦痛を予測し、それが現実になる前に全てが終わって欲しいとだけ願っていた。立体的だった過去と未来が今ここにいる私へと圧縮され、一面に広がっていく。バラバラになった全ての私が我先にと呼吸したがるが、気道は一本しかないので、速度をあげることでなんとかやり過ごすしかない。そこでふと自分の息の浅さと荒さに気づく。


 苦しみながらイタリアンプリンまで食べ終えたところで、友人が私を気遣って「今度会えたなら 話すつもりさ」と歌い出す。なぜか私の意思とは関係なく表情が緩み「それからのこととこれからのこと」と口からすらすら歌が出る。これもある意味では他人のバイオリズムに乗っかる、ということなのかもしれない。さしあたって私は、ウィーアー!の2番を差し出されたら自然に口ずさんでしまう自分の仕組みを異形の生き物かのように眺める。


この文章を1ヶ月寝かせて再び読み返す。生物だった部分が腐ってしまって、ひどく臭う。